追悼
2016年11月01日
代表社員 佐藤 修一 毎朝、自宅のベランダで、東の空に昇る太陽に向かって手を合わせ『太陽礼拝』をすることが、私の日課になりました。これは、ヨガのポーズの一つで、弊社の創立者である野本が、昨年よりガン治療の一環として取り入れ、本会報の1月号(第74号)で自身も紹介しています。
「ガンは必ず治る」という人並み外れた強い信念を持ち続け、病床においても会社のこと、仕事のことを一番に気にかけながら、最後の最後までガンと闘い抜きました。しかし、去る9月22日、あまりにも突然に旅立たれてしまいました。
くしくも、その日は『秋分の日』、彼岸の中日にあたります。「ご先祖様があって両親がいて、生を受け、いま現在の私がある。お彼岸には、お墓参りに行ってください」と野本がよく社員を前に話したものでした。まさに、その日を自身で選んだかのように、安らかに息を引き取られました。何か、運命というものを感じずにはいられませんでした。
税理士としての15年間
社長(いつも、故人をこう呼んでいました)との出会いは28年前のこと、それがご縁の始まりです。
私が、福島県いわき市にある野本会計事務所(弊社の前身)に入社した昭和63年は、創立15周年記念パーティーが盛大に催された区切りの年でした。その後の社長の経営者人生は、この15年間を一単位に形成されることになります。
入社当時、野本会計事務所は、質・量ともに地域ナンバーワンの地位を築き上げ、いわゆる野本ブランド~群を抜いた品質の税務会計サービス、地域では1番の顧問先数、1番高い顧問料、1番高い初任給~をすでに確立していました。その事務所の一員として仕事ができることが、喜びであり、また誇りでもありました。
オーナー社長時代の成功と挫折
そして平成元年、東京進出。株式会社エヌエムシイを設立し、会計事務所に特化した経営コンサルティングと会計ソフトの開発・販売を手掛けることになります。
野本会計事務所という現場で培った成功ノウハウを惜しむことなく公開した『会計事務所経営スクール』には、一人当たり150万円という破格のセミナー代にもかかわらず、約800名に上る全国の会計事務所の所長先生や職員様が大型バスでいわき事務所に見学に訪れました。最先端のモデル事務所としての評判は瞬く間に全国区となり、会計業界のリーダー的存在として衝撃を与えました。
また、平成4年に販売を開始した会計ソフト『CASH RADAR』は、当時インターネットが影も形もない中で、お客様企業と会計事務所を電話回線で結び、会計データを相互間でやり取りをするという画期的なシステムで、『会計事務所維新』の名の下に業界革命を引き起こしました。
『CASH RADAR』は、他に類をみない会計ソフトであったために急速に普及し、株式会社エヌエムシイの全盛期には年商30億円に達し従業員も200名を超えました。しかし、その勢いにまかせ株式公開を目指すも、Windows版のソフト開発に大失敗し、約20億円の借入金だけが残り、辛酸をなめることになります。
43年間の集大成
このようなどん底人生にあっても、社長は「これも神の声」と前向きにとらえ、平成14年には、野本会計事務所を法人化してエヌエムシイ税理士法人を設立、東京・いわきの2拠点で、中小企業の経営発展に税務会計サービスを通して貢献してまいりました。背水の陣で再建に取り組んだ結果、借入金も6年ですべて返済し、奇跡的な復活を成し遂げます。
近年では、平成23年に『税務総合戦略室』を立上げ、国税局出身の各税目の専門家による総合病院的な税務コンサルティングを開始。足かけ5年の歳月を費やして、オーナー社長の抱える税金ストレスをすべて解放する唯一無二のサービス『税金ストレスフリーパック』として実を結ぶことになります。
社長は、この税務サービスを、43年間の経営者人生の実体験から生まれた集大成と位置づけ、本年7月まで自身で毎月3回のセミナー講師を務め、渾身の力でオーナー社長に熱い応援メッセージを送り続けていました。それが功を奏して、今では全国のオーナー企業様からの引合いが後を絶ちません。ここ1年で総仕上げをする予定でした、それなのに……。
三つのありがとう
こうして29年間にわたり社長の側に微力ながら仕えたことで、私は、仕事においても人生においても、かけがえのない宝物をいただきました。地元のいわき市で執り行われた告別式で、遺影に向かい感謝の気持ちを素直に語りかけました。
「野本社長、ワクワク、ドキドキの素晴らしい夢をたくさん見せていただき、ありがとうございました。その夢を実現して行く姿を見せていただき、また関わらせていただき、ありがとうございました。そして何より、仕事を楽しむことを教えていただき、ありがとうございました」と。
これは、お客様企業、会計事務所様をはじめとして、社長と親交のあったすべての方々に共通する思いではないでしょうか。もちろんのこと、私どもの社員も同様です。
尽きることのない夢
社長と出会ってから今日まで、その夢は尽きることがありませんでした。社員を集めては、いつもニコニコ笑顔で目を輝かせ、ロマンに満ちた夢を話してくれました。そして、その時が一番生き生きとしていました。
ここ最近の夢はというと、「ガンはもうじき消えてなくなる。私はあと30年現役で仕事をするぞ!死ぬのは102歳だ!次にやることも決まっている。毎日利用しているザ・リッツカールトン東京並みの物凄い超高級老人ホームを建設して、そこに入居するんだ。うちの社員は優先的に入れてあげるから心配するな。管理人や掃除婦の仕事も用意してあるぞ(笑)」と約束してくれました。
熱意・行動・感謝
出会った人すべてを元気づけ、楽しませてくれる天才。「仕事とオシャレが趣味です」という自身の言葉通りに、仕事を心底愛し、お客様を愛し、仕事を楽しんだ、素晴らしい経営者人生。
その根底に常に流れていた基本理念があります。それは、43年間、変わらず掲げてきた社訓『熱意・行動・感謝』です。それを率先垂範してきたのが社長でした。社長が社訓に込めた思いを、ここでご紹介したいと思います。
「熱意」とは
ストーブの熱です。カイロを身に着けていると、ポカポカとして暖かいものです。しかし、カイロはたくさんの周りの人たちを暖めることができるでしょうか。熱意とは、自分だけが熱くなっているのではなく周りの人も暖められる、すなわち、カイロではなくストーブになることです。願わくは、太陽のようにあらゆる人を照らし暖めることができれば最高の熱意です。
「行動」とは
結果がともなわなければ、行動していないのと同じです。できないなら、なぜ成果を上げるだけの行動をしないのか。学生時代は、過程を大事にしました。数学の試験で答えが間違っていても、途中までの算式が正しければ、ある程度の点数がもらえました。しかし、仕事においては、過程は関係ないのです。答えが合っているか、いないかです。結果を出してはじめて行動したといえるのです。そして、結果はすべて数字で表すことができるのです。
「感謝」とは
一人で生きていると思ったら大間違いです。一人では何もできません。周りの人たちの協力があり、たくさんの応援があってこそ、はじめて夢や目標が達成できるのです。そこに感謝すること、そして、生かされていることに感謝するのです。一番は父の恩・母の恩、そしてご先祖様への恩です。
100年企業の基本理念
私は、28年前の入社当時、社長から直に社訓の持つ深い意味を教えていただきました。そして今、新入社員にその意味や創立者である野本の思い入れを伝え聞かせることが、私の役目になっています。さらには、日々の仕事において、社訓を身をもって実践することが求められています。
毎日朝礼で社訓を唱和するたびに、年数を重ねるごとに、このシンプルな社訓はどんどん深みを増してゆきます。本当に多くの人たちを暖めることができたか(熱意)、答えを出すことができたか(行動)、生かされていることを自覚しているか(感謝)、常に原点に戻り精進し続けて行こう、と強く念じております。
この先50年、100年経っても、まったく変わることなくめんめんと受け継がれ、私どもの社員の心の中に流れ続け、仕事においてはもちろんのこと、人間として豊かな人生を送るうえでも、大切な教えになることでしょう。
「徒然草」の教え
結びに、創立者である野本の座右の書『徒然草入門』(本多顕彰著・光文社)の一節をご紹介させてください。
「京にすむ人、いそぎて東山に用ありて、既に行きつきたりとも、西山に行きてその益まさるべき事を思い得たらば、門より帰りて西山に行くべきなり。ここまで来つきぬれば、この事をば先言ひてん。日をささぬ事なれば、西山の事は、帰りてまたこそ思い立ためと思ふ故に、一時の懈怠(けだい)、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし」(第百八十八段)
訳(京都に住む人が、いそぎの用が東山にあって、すでにそこへ行き着いたけれども、西山に行ったほうが利益が多いはずだと思うことができたら、中途から引き返して西山に行くべきだ。ここまで到着してしまったら、この事をまず言ってしまおう。日限のないことだから、西山の事は、帰ってまた思い立つことにしようと思うから、一時のなまけが、一生のなまけとなってしまうのだ。これは恐るべきことだ)。
仕事をしていて、やり直しくらいつらいことはない。原稿を書いていても、一行や二行の書き直しならまだいいが、思いちがいをして、五枚も十枚も書き直すとなると、まちがっていても、このままにしておくかという気がついおこってくる。そういうことをすると、それにつづく文がまちがいを受けて書かれるから、むりな文章になってしまい、結局、数十枚も書き直すということになりかねない(58頁~59頁参照)。
心の中の太陽
この一節との出会いは、私が野本会計事務所の入社試験を受けた折、筆記試験(国語・算数・英語)と面接があったのですが、その中の国語の試験問題に出題され、傍線部分の意味を問われたのが最初でした。
当時は、会計事務所なのに簿記や会計の問題ではなく、なぜ国語しかも古典の徒然草なのか、と不思議に思ったものでした。それからずっと私の頭の片隅にくすぶり続けていたのですが、入社して10数年が過ぎた時、この本が社長の座右の書と知り、その一節の本当の意味を理解した時から、徒然草に兼好法師が残した教えの素晴らしさに開眼し、悩んだり迷ったりした時の、心の病の特効薬となりました。今となっては、私にとっても座右の書の一冊となっております。
まさに、この一節の教えを素直に受け入れ、一瞬一瞬、一刹那を大切にした社長。仕事をするうえで、決して妥協を許さず、納得のゆくまで何度も何度もやり直す勇気を持ち、他人より半歩先を全力で走り抜けた、72年間。
「これからもずっと、ずっと、エヌエムシイグループのお客様と私たち社員を、太陽のように照らし続けてください!」本当にお世話になりました。心から、ありがとうございました。 合掌
代表社員・税理士 佐藤 修一