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税務署創設120年

2015年06月21日

6月1日は国税庁の開庁記念日である。昭和24年に設置されて今年で67年目を迎える。
家で本棚を整理していたら、東京国税局に勤務していた時に配布されていた「職員録」を見つけた。その「職員録」には、東京国税局の管内税務署順に署長以下、所属部門ごとに職員の氏名が記載されている。
当時は、仲間の職員への連絡用に使用するぐらいだったが、つい、懐かしくなりぺージをめくってみると各税務署の沿革が記載されている。
何気なく、税務署の沿革を読んでみたら税務署が初めて設置されたのは明治29年11月であること、そして、今年120年目を迎えることがわかった。
そこで、税務署の創設に関して税務大学校の租税資料を調べたところ、明治29年11月に全国に器の税務監理局とその下に520の税務署が設置されたことがわかった。
(北海道は明治30年に施行)
各県の税務署の署名を見てみると、所在する市区町村の名称を使用しているためか、全国に同名の税務署が数多く存在した。
現在では、考えられないことだが、当時は、通信等のインフラの整備が進んでいないため同名の税務署が他県にあっても業務に支障はきたさないことから気にすることはなく、不便さもなかったのかと思う。
明治29年11月の創設時には、全国に次の税務署が表示した県に存在していた。

①本庄税務署[秋田県・埼玉県・岡山県]
②福島税務署[福島県・長野県・福岡県]
③富岡税務署[福島県・群馬県・徳島県]
④中村税務署[福島県・兵庫県・高知県]
⑤高田税務署[福島県・新潟県・富山県]
⑥大田税務署[茨城県・群馬県・山口県]
⑦松山税務署[埼玉県・奈良県・愛媛県]

現在は、全国に11の国税局と沖縄国税事務所の下に524の税務署が設置されている。明治29年の創設時と現在を比較した場合人口も税収も格段に増加しているにもかかわらず120年前の税務署数520とほとんど変わらない。
このことは、明治30年頃は税収の中心が酒造税であったため密造取締りが強化され税務署職員による犯則調査のため必要だったと思う。
その後、税務署の統廃合により大正15年9月には345署にまで減少したが、昭和8年以降は納税人員の増加に伴い税務署も増加し平成7年7月の江戸川南税務署の新設で現在の数に至っている。
明治29年の創設時、署の数が一番多かったのは兵庫県で24署あった。
二番目は愛知県と福岡県で各18署、三番目は福島県と新潟県でそれぞれ17署あった。
因みに、東京都は11署、大阪府は13署であった。現在では、東京都48署、大阪府31署である。
現在は、全国に同名の税務署はなく、同じ名称にならないようにどちらかの税務署に区別するための名称を付けている。
例えぱ、創設時には、府中税務署は東京都と広島県にあったが、東京都の府中税務署は明治37年4月に廃止され八王子税務署に合併された。
その後、昭和47年7月に立川税務署から分籬して武蔵府中税務署として設置された。
管轄する府中市近辺は古代から武蔵国にあたっていることから武蔵府中と称されたが、隣接市に武蔵野税務署があることからも良い名称と思う。
また、昭和19年8月に淀橋税務署から分かれて中野税務署が新設された際、長野県の中野税務署は明治29年から存在していたが信濃中野税務署に改称している。
平成3年7月に下谷税務署が東京上野税務署に改称されたのは東北の玄関口と言われてきたJR上野駅を管轄していることから上野税務署となるわけであったが、三重県に上野税務署(現在の伊賀市)があったため東京上野税務署となった。
私としては、東京上野税務署とするよりも、お互いの地域性をアピールするため三重県の上野税務署を伊賀上野税務署とした方が良かったと思う。
伊賀といえば忍者が有名である。小説「のぼうの城」のモデルとなった「忍城」が埼玉県行田市にあるが、明治29年に忍税務署が存在していたことに税務署創設の歴史を感じた。

税理士 大柳 和二