成功者になるための法則その3-2~縁によって左右される人生~
2019年03月12日
創立者 野本 明伯 2013年1月14日、急速に発達した低気圧の影響で、東日本や東北の太平洋側は大雪に見舞われました。東京都内も珍しく一面雪景色となり、慎重な足取りで成人式に向かう晴れ着姿の新成人たちの姿も見られました。
東京のマンションの自室の窓から続けざまに降りしきる雪を眺めていると、ふと50年前のある光景を思い出しました。あの日も激しく雪が降っていました。
入学試験の日の大雪
当時、私は浪人生として仙台の予備校で受験勉強にいそしんでいました。確か3月1日のことだったと記憶していますが、その日、私は東北大学の入学試験を受けていました。長い試験が終わり、一種の放心状態で試験会場をあとにすると、外は一面の銀世界。激しく雪が降っていました。
試験会場の外では急な天候の変化に、子どもを心配して迎えに来ている親御さんが20名ほどおりました。その中にひとり私の知った顔がいました。名を遠藤功さんといいました。遠藤さんはひとり傘もささずに肩に雪を積もらせながら、「試験、どうだった?」と心配そうに私の方へと駆け寄ってきてくれたのです。
当時、遠藤さんは東北大学で法律を学ぶ大学院生でした。私の下宿先に出入りされていたことから、言葉を交わすようになり、交流が始まりました。人懐こい笑顔が印象的な方でした。
何を思ってか私のことをとてもかわいがってくれて、受験勉強の心構えを教えてくれたり、時には遠藤さんの学生寮の大広間でテレビを観ようと誘ってくれたり、また、人生でたった一度だけの煙草をすすめてくれたりもしました。
しかしながら、言ってみればそれだけの関係だったのです。幼い頃から親しかったわけでもなければ、密度の濃い時間の中で苦楽を共にしたという関係でもないのです。どちらかと言えば、非常に曖昧な、ぼんやりとした関係にすぎなかったのです。したがって、私はその日、その会場で受験に臨むことは遠藤さんには伝えていませんでした。
肩に雪を積もらせ待つ姿に無償の優しさを見る
にもかかわらず、他の誰でもない遠藤さんが、雪の降りしきる中、自分のことを心配して待ってくれていたのです。私はまさかそこに遠藤さんがいるとは夢にも思っていませんでした。両親が待っていてくれたということであれば想定の範囲内です。親が子のことを愛し、思いやるのは、人間以前に生物としての一種の本能のようなものです。
しかし、たまに会話するくらいの間柄にすぎない人間が、実はこの瞬間において誰よりも自分のことを思ってくれていたのです。遠藤さんは頬を上気させ、肩に雪をのせたまま「どうだった?」と声をかけてくれたのです。今振り振り返れば、私はその時の遠藤さんの姿を見て、その気持ちに、その行動に、人間の無償の優しさを見たのだと思います。
この世に生を受け今年で70年。税理士として独立し、事業を営み早40年。本当にさまざまな出来事があり、目まぐるしいほどの人と出会い、時に喜び、時に辛酸を嘗め、今日まで生きてきましたが、私はあの試験会場から外に出た時の雪の中に立ち尽くす遠藤さんの姿、あの風景ほどに大切なことを教えてくれたものはありません。
損得勘定などなにもない、無償の優しさ、もっといえば人間の愛情。それは何者にも代え難い、代替のきかない、もっとも価値あるものだと私は思っています。空を舞い、深々と降り積もる雪の結晶よりも美しく、気高いものだと感動したからこそ、50年たった今も鮮明に思い出すのです。
受けた恩は次の人に
時が過ぎ、経営者人生を送る中で、折にふれ遠藤さんのあの優しさに感謝し、その本当の深いところが身に染みてわかってくるにつれ、私はあの時の感謝の気持ちをお返ししたいと思ったものです。しかしながら、ある時ふと、受けた恩はその人には返せないものだと悟ったのです。
それは、その方と連絡が取れないなどといった実際的な問題のことではありません。
恩返しという行為は一種、意識的なものです。そういうものでは、遠藤さんが私に見せてくれたような無償の行為に報いることなどできやしないのです。もし、恩返しをしてそれを果たせると思ったら、それは非常におこがましい考えだと思います。
だから私はある時から、受けた恩は次の人、新たに出逢った人に返していくべきだと思いました。そして、あの雪の降る日に遠藤さんという存在が私に教えてくれたと同じ様に人に接するように努めてきました。
恩を受け、教わったことを、次の人に返す。それを繰り返していると、不思議なことに、巡り巡ってまた自分のところに同じものが返ってくるのです。そして、どんどん幸福が大きくなり、よい流れができていくのです。このような人知の及ばない不可知な力、見えない力や大きな流れの中で、私たちは生かされているのです。
縁の源であるご先祖様への感謝
前回の原稿でもお伝えしましたが、これまで述べてきたことは、まさに「縁」のなせるわざなのです。遠藤さんのエピソードに限らず、私の70年の人生を振り返れば、当然のことですが70年分の縁があります。なかには良い縁ではなく、裏切られたり、騙されたりと、一見すると悪い縁もありました。しかし、それはそれで「縁」というものを通して、何かを教えてくれているのです。
どのような縁にしても、縁というものに対して真摯な姿勢で、刮目し、耳をかたむければ、人生がよき方向に向かっていくための大切な教えに気づくことができるのです。
そして、前号からの続きになりますが、やはり縁の源、根本は、両親なのです。当たり前のことなのですが、両親がいなければ今の自分はそもそも存在していません。そしてさらに、両親の先にはご先祖様がいるのです。遥か昔まで連綿と続く生命の流れの中で、今、自分は生かされているのです。
したがって、ご先祖様を大切にせずに、人生を成功させようなどと思うこと自体、間違っているのです。
ではどうすればよいのでしょうか。簡単なことです。ご先祖様のお墓を掃除し、花を供え、線香をあげ、感謝をささげることなのです。これが一番の基本なのです。
家を建てる前にお墓を整えることが先決
最後に、なぜ私がそう思うに至ったかをお伝えして本稿を閉じたいと思います。
時を遡ること40年前の開業間もない頃、ご近所のお葬式の準備のお手伝いに駆り出されました。当時住んでいた場所は、中心街から車で10分程度の田舎で、お百姓さんが多く、立派な家が多かったのです。その日、お葬式のお手伝いに伺った方の家もそれは立派なものでした。
にもかかわらず、お墓はひどい状態でした。石垣が崩れ、雑草が生い茂り、墓石は汚れ、花立には濁った水が残っているだけで、見るも無残でした。立派な家と荒れ果てた墓の対比にしばし絶句したものです。
私は直感的にこれは間違っていると感じました。今ある立派な家も、ご先祖様あってのものなのです。家を立派に建てる前に、まず、第一にお墓を整えることが先決ではないか。家を整え、立派にするのはその次のことではないだろうか。そう考えました。その後、時を経ずして、その方は事業が傾き、最終的には夜逃げをしなければならない状況に陥ってしまいました。私はそれを知った瞬間、あの荒れ果てたお墓を思い出したものです。
この時の思いがあり、私は家の新築の前に、先祖代々守ってきたお墓が古くなってきていたため、すべて新しく建て直しました。そして、毎月一度、お墓の掃除をし、花を供え、線香をあげ、ご先祖様に感謝をささげることを40年間続けてきました。
もちろん昨年末にも、お正月を迎えるためにお墓を掃除し、花を供えました。皆様、お正月にお墓に行ってみてください。おそらく寒々とした墓所のほとんどは、花もあがっていません。お彼岸やお盆にはお墓の掃除や花を供えたりしますが、お正月を迎えるためにそのようなことをする方はほとんどおりません。私はこのことにも違和感を抱いていました。どこの家も年末になれば大掃除をし、松飾りをし、正月を迎えます。でも、考えてみてください。きっとご先祖様も同じように気持ちよくお正月を迎えたいはずなのです。
そこで、私は毎年必ず年末にお墓に参り、掃除をし、松を入れ、菊の花を供え、線香を手向けます。すると、寒々とした墓所の中で、気のせいかそこだけ光があたって輝いているように見え、その光でもって自分も力をもらえるのです。きっと、ご先祖様も気持ちのよいお正月を迎えていることだと思うのです。
毎年年末には、お墓に参り、掃除をし、松を入れ、菊の花を供え、
ご先祖様にも気持よくお正月を迎えていただきます
「縁」という不可知な力
税理士事務所経営という仕事柄、「どうすれば儲かるのですか」といったご相談を受けることがしばしばあります。また巷には、営業のノウハウ、商品づくりのコツ、交渉術、トーク術などをテーマとした、いわゆるハウツー本も多く見受けます。
しかし、私はそういった相談を受けたり、本を目にするたびに、違和感を抱いてしまいます。成功の極意とは、そんな薄っぺらいものでは決してないのです。人間にとって本当に大切なことを踏まえていれば、必ずその人にとっての成功に導かれるものなのです。
ノウハウやハウツーはあくまでもその後のことです。再三繰り返しているように、まずは「縁」の源である両親を大切にすること、そして、その先にあるご先祖様に感謝をささげることが肝要なのです。このことが人生をうまくいかせる、成功のための一番の基本なのです。
私は事業を営んで40年間、ずっとこのことを続けています。間違いなく言えるのは、今の自分があるのは、「縁」という不可知な力によるものなのです。
創立者 野本 明伯