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成功者になるための法則その2-1~成功者の定義~

2019年01月22日

 前号では「成功者になるための法則その壱の2」と題し、「お洒落の神髄」についてお伝えさせていただきました。しかしながら、前号までを読み返し、最も大切な部分、つまり「成功者の定義」について曖昧なまま、筆をとってしまったことをいたく反省しました。
 したがって、本稿では、私が考える「成功者の定義」について、お伝えさせていただきます。

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筆者の愛読書の一冊である幸田露伴著「伊能忠敬」

「成功とは何か」を考える

 成功者とはなんでしょう。莫大な富を持つことでしょうか。オリンピックに出てメダルを獲ることでしょうか。有名になることでしょうか。多くの人が「成功者とは?」と聞かれて思い浮かべるのはこういったことかもしれません。
 しかし、もしかしたら当人は自分のことを、他人と比較して成功者などと思っていないかも知れません。「もっとお金が欲しい」「やっぱり金メダルが欲しい」「もっと有名になりたい」と苦しんでいるかもしれないのです。人の心の本当のところは、他人には窺い知れないものなのです。
 また逆に、「そもそも自分は成功なんかと縁がない」と最初から決めつけている人もいるでしょう。前者にしても後者にしても、自らの中に「成功とは何か」という軸がないために、成功ということに対し、心の整理がつかないのです。

「克己」を教えてくれた一冊

 私は、大学卒業後、税理士試験に臨みました。本試験の前に、何度も模擬試験を受験しました。はじめて模擬試験を受けた際、私は「このくらい勉強すれば大丈夫」だと高を括っていました。しかし結果は不合格。
 今度はしっかりと対策を行い、「こんなに勉強したのだから満点がとれてしまうのではないか」と思うまでに至りました。しかし、それでもなんと合格スレスレのラインです。この時から私は勉強方法を変えました。さらに1時間早く起床し、それを4年間続けました。そして「どんな出題がなされようと絶対に満点だ」という心境に至るまで徹底的に勉強したのです。
 この時の私を下支えしてくれたのが、大学時代に勤しんだ書物の数々でした。中でも特に印象に残っていたのが、本多顕彰著『徒然草入門』、哲学者の河合栄治郎著『学生に与う』、そして幸田露伴著『伊能忠敬』です。
 特に、税理士試験に臨む際には、幸田露伴の著した『伊能忠敬』には大きな影響を受けました。ご存知のように伊能忠敬は、1800年(寛政12年)から足掛け17年、日本全国を測量し、大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした偉大な人物です。
 幸田露伴は何故に伊能忠敬が偉人たりえたかについて、様々なエピソードを散りばめつつ、格調高い文章でつづっていきます。中でも「克己」、つまり自分自身に打ち勝つことに関するくだりは圧巻です。それは、要約すればこういうことになります。
 大抵の人は一日十里を進む。十一里の路を歩むこと、それ自体は、わずかに一里の差に過ぎない。しかし、そのためには朝早く起きる必要がある。常人は眠りの心地よさに身を委ねてしまうが、十一里を歩む人間は、克己し、一里を多く歩み、それを毎日繰り返すのです。
 振り返れば、一緒にスタートした人間は、遙か後方に見える。そのことにより、人より一里多く歩むこと、つまり朝早く起きて歩き出すこと自体が苦痛ではなく、愉快、痛快となっていき、その積み重ねはやがて、常人と卓絶したる人間の差を生むのです。

虹が迎えてくれた帰郷

 晴れて税理士試験に合格した私は、故郷いわきで会計事務所を開業すべく、知り合いの引越業者と、当時住んでいた横浜を後にしました。当時28歳。時は4月、朝から、シトシトと雨が降り続ける日でした。
 常磐道を進み、北茨城と故郷福島の県境にさしかかると、地元では「ネズミ坂」と呼ばれる、なだらかな上り坂がゆっくりとその姿を現し始めました。気づけば雨はやみ、青空と眼下に広がる故郷の街に、巨大な二重の虹がかかっていたのです。
 若い運転手が、助手席の私に向かい、興奮気味に、「野本さん。きっと、いわきに戻ってくるのを歓迎してくれているんだよ」と声をあげていました。

人生を変えたひとつの言葉

 昭和48年、自宅の六畳一間で開業しました。そして、開業後に出逢ったひとつの言葉が、私のその後の人生を大きく変えたのです。それは、ポール・J・マイヤーの「成功とは、価値ある目標を前もって設定し、段階を追って達成していく姿そのものである」という言葉です。さらに、「目標を鮮明にイメージし、達成するまでの期限を決める」というものでした。
 私は、直感的に「これだ」と思いました。そして、「これから15年で、いわきで一番大きく有名な会計事務所をつくる」という、私にとっての価値ある目標を設定しました。
 そして、決算書・申告書作成サービスのみならず、相続対策、事業承継ビジネスまで手を広げ、当時、税務署OBの税理士3名を抱え、顧問先企業が300件を超える地元で最も大きな規模の事務所になったのです。開業から15年目のことでした。

より先の会計業務を目指して

 昭和63年、社員を二人連れて東京へ進出し、平成元年6月に株式会社エヌエムシイを東京に設立。そして、私は次の15年の新たな目標を設定しました。それは、「全国の会計事務所に対して自社開発の会計システムを導入すること」でした。
 このことにより、旧来の会計事務所の仕事の徹底的な合理化ならびに、各々の会計事務所の顧問先企業の経理事務の簡便化と合理化を目指したのです。
 1990年代始め、当時はまだインターネットがない時代です。通信で会計事務所とお客様が繋がるという会計システムは日本初で、一気に売上が30億円に迫りました。結果、15年間かけて、全国250の会計事務所とその顧問先企業3万社超に会計システムを導入することができたのです。
 次の15年の目標は、「会計事務所の仕事をサービス業に転換する」というものです。
 旧来の会計事務所は、料金体系やサービス内容の範囲が曖昧であり、サービス業という意識が非常に希薄でした。言い値で顧問料が決まってしまうこともしばしばあり、私は常々、違和感を抱いておりました。
 その頃、ちょうど税理士法の大幅改正があり、広告の解禁もなされたのです。そこで、平成14年11月15日にエヌエムシイ税理士法人を東京に設立。料金体系とサービス内容の明確化を行い、いわゆる殿様商売からサービス業へと転換させ、結果的には2年半で378社のお客様とご契約を頂くことができました。
 また、平成23年には、元国税調査官8名を迎え入れ、税務総合戦略室を設置。より高度な税務問題に対応できる体制も整えました。
 あと残り4年でこの体制を完璧なものとして構築していき、会計事務所としての集大成とするのです。

成功とは他人との比較ではない

 このように40年間を振り返るに、私が考える成功とは、決して他人との比較の中にはないということです。
 去年の自分より今年の自分が、目標に向かって成長していること。そして、今年よりも来年の自分が更に目標に向かって成長していること。要するに、自分自身との比較の中に成功があると思うのです。
 前向きに目標に向かい、達成し、「ホッ」とするけど、それは「踊り場」に過ぎないのです。この「踊り場」という感覚が大切なのです。私の例で言えば、15年かけて地元で一番大きな会計事務所をつくるという階段を上り終えた時、「踊り場」に出たのです。そこで、ふと立ち止まり、さて、次はどうしようかと考えるのです。
 ここで、立ち止まってしまったままであるならば、成功者とは言えないのです。また、新たな価値ある目標を設定し、階段をのぼり、クリアしていくのです。
 次なる目標を設定することをやめてしまったら、かつては「成功者」だったということにしかならないのです。オリンピックで金メダルを獲った後の人生も、たとえば後進の指導にあたるなど新たにその人にとって価値ある目標を掲げ、それを達成すべく歩む姿こそ成功者なのです。
 競馬のレースでは一位と二位の判定に写真が用いられることがよくあります。しばしば「鼻」の差で一位と二位の明暗がわかれます。しかし、この一位と二位では得られる報酬と名誉は「鼻」の差ではなく、天と地の差であるのが現実です。
 ただ、一番と二番にそれほどの実力の差があるのでしょうか。実際には、差はほとんどないのです。たとえば、1時間早く起きて勉強する。それは「鼻」の差くらいのものでしかない。しかし、その継続がまさに人生において大きな差を生むのです。
 しばしば成功者といわれる方が「ものすごい努力をされたのでしょう?」と問われても往々にして、「努力なんてしていないですよ」と口にされます。これは強がりでも何でもないです。これもまさに本人にとっては、「鼻」の差くらいの努力の継続に過ぎないのです。

夢を持とう、遠大な夢を!

 このように論じてきますと、成功とは、特別な人にしか縁がないと思われるかもしれませんが、他人との比較の中に成功はないのです。自分にとっての価値ある目標であれば何でも良いのです。つまり、誰でも成功者になれるのです。
 たとえば「3ヶ月以内に5キロのダイエットをする」というものでも、その人にとって価値ある目標なら良いのです。他人から見れば「何だそんなことか」と思われるかもしれません。しかし、何度も言うように他人との比較ではないのです。誰がどう思おうが関係ないのです。
 その時に大切なのが、「克己」の心で、達成への階段をのぼることです。そして、目標を達成し、「踊り場」に立てば、また違う景色が見えるはずなのです。
 私の例をとれば、「地元で一番の会計事務所」という目標を達成し、「踊り場」に立ったことにより、東京進出、全国展開という次のステージへと移行できたのです。それまでは、まさか自分が東京に進出するなどと夢にも思っていませんでした。
 しかれば、ダイエット達成の後には、まるで異なる世界が見えるかもしれないのです。このように、小刻みな成功体験を繰り返すことにより、遠大な夢につながっていくのです。30年も過ぎてみれば、「ダイエットなんて」などと小馬鹿にしていた相手が、手の届かない成功者になっているのかもしれないのです。
 私は、最終的には、成功者とは、「金持ち、時持ち、夢持ち」になることなのだと思います。ただし、ここでいうお金は、何も巨額なものでなくてもいいのです。その人にとって、必要であるお金が自由になればそれでいいのです。そして、自分でコントロールできる自由になる時間があり、夢を持ち続けていること、それこそが成功者なのです。
 逆に、どんなにお金があっても時間の自由がなければ成功者とは言えないのです。同様に、時間とお金があっても、夢がなければそれも成功者とは言えないのです。また、夢があるだけではダメです。夢があり、その実現に向かい行動している人こそが成功者なのです。私の敬愛する伊能忠敬先生は、50歳の時に、幕府の天文方・高橋至時に測量を学びます。この時、高橋の年は32歳。伊能先生は息子ほどの高橋に真摯に教えを請います。そして1800年、56歳にして、測量を開始。17年かけ、偉業を達成するのです。

 人は言います。「もう年だから」「できっこないから」と。しかし、本当にそうでしょうか。伊能先生が50歳で測量を学び始めたように、何をやるのにも遅いということはないのです。振り返れば、私は特に意識せずに、15年ごとに目標を設定し、それを達成すべく駆け抜けてきました。これから30年間は、10年ごとに目標を設定し、社会貢献という夢を達成すべく階段をかけのぼっていこうと思っております。
 最後に私の座右の銘をご紹介させていただき、本稿を閉じたいと思います。
「夢を持とう、遠大な夢を! そうすればあなたはそのようになれるだろう。偉大な業績もかつてはしばらくは夢だったのだから」

 創立者 野本 明伯