成功者になるための法則その2-3~成功へと向かう狂気~
2019年02月12日
創立者 野本 明伯前回、前々回と成功の実現のための方法をお伝えしてきました。それは、要約すれば「価値ある目標を設定し、目標を鮮明にイメージし、達成するまでの期限を決める」ということになります。
しかし、前回の原稿を読んでくださったとある女性から「私も目標を鮮明にイメージするために、化粧台の脇に欲しい車の写真をはりました」と言われ、私は正直、困惑を覚えました。確かに目標をビジュアライズ(可視化)することは大切です。私も「野本会計事務所」と書いた看板を自室に掲げて税理士試験の勉強に励んだことや、理想の家の模型を制作してもらったことなど、「目標を鮮明にイメージする」ためのエピソードをお伝えしました。ただ、これだけでは決して目標は手に入らないのです。
世界初のマルチ通信を可能にしたエヌエムシイ製通信用LSI
潜在意識をフルに活用するためには
前回の原稿の締め括りでも触れましたが、成功の実現のための核は、「潜在意識をフルに活用すること」が肝要です。ただし、この潜在意識ですが、目標をビジュアライズしたくらいでは決して働いてくれないのです。
身もふたもない話になってしまいますが、何であれ自分の夢を実現するためには、「もうこれ以上はできない」「できることはすべてやった」「もはや限界だ」といった状態にまで自分を追い込むくらいに努力することが必須なのです。写真を貼って待っていれば夢がかなう、成功が実現する、なんてことはありえないのです。
このことを如実にあらわした「まさにこれだ」というエピソードを、先日、ニュースで拝見しました。ご存知の方も多いと思いますが、岐阜市で行われた国民体育大会「ぎふ清流国体」で、18歳になったばかりの高校3年生 山口観弘選手が水泳200m平泳ぎで世界新記録を叩き出したのです。
世界新記録を樹立した少年の狂気
5歳の頃から水泳を始めたという山口選手は、私たちがしばしば見聞きするスポーツエリートが育った環境とは大きく異なっています。山口選手の所属していた地元の水泳クラブには、自前のプールも専門のコーチもいなかったといいます。週に4回程度、公営の25mプールを使って、仕事終わりの父母がボランティアで練習をサポートするといった、世界レベルの水泳選手を目指すには決して恵まれた環境ではなかったのです。
しかし山口選手は、小学校低学年の時、自室に北島康介選手のポスターをはり、その上に「おまえぬかす」とフェルトペンで書き込み、日々、練習に励んだといいます。
私はニュースでこの映像を見たとき、非常に考えさせられました。北島康介選手といえば、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックにおいて100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得した誰もが知る国民的英雄です。
同じ水泳の世界にいる人間にとって、ましてや小学生にとっては、憧れの大スターでしょう。にもかかわらず、ポスターに「おまえぬかす」と書き、決して恵まれた環境ではない中、ストイックに自分を追い込み、ついには北島選手の記録どころか世界新記録を樹立してしまう。私はその姿を見て、「一種の狂気だな」と感じたのです。
繰り返しになりますが、「憧れの北島選手」ではなくライバルとしてとらえ、「おまえぬかす」とポスターに書き込み、本気でそのための徹底的な努力をするということは、普通ではありません。端から見れば一種の狂気です。でもこの狂気こそが山口選手が偉業を達成した一番の理由だと私は思います。
狂気は目標を達成するためのエンジンとなる
かくいう私自身のこれまでの人生を振り返っても同じです。ここぞという時は、まさしく狂気の沙汰で物事に取り組んできたのです。ふたつほど例をあげましょう。
私は昭和48年に故郷いわき市に野本会計事務所を開業しました。この時の私の夢は「地元で一番大きな事務所にすること」でした。そのために前回お伝えしたように、実際に働いている職員数の倍の机と椅子を準備することで、「この机を職員でいっぱいにするぞ」という目標をビジュアライズしたのです。
しかし、当然のことですが、ただイメージしているだけで事務所が大きくなる、つまりお客様が増え、売り上げアップがなされるわけではありません。さらに当時は、先輩税理士から「野本君、今はもうどこの会社も税理士がすでについているから新たにお客さんを増やすのは難しいよ、あと10年早かったら良かったのに」と言われるくらいでした。しかし、私はまったく心配していませんでした。積極的に仕掛ければいいだけのことです。
私は「顧客拡大キャンペーン」と称して全職員を営業に走らせました。当時はインターネットなんてない時代ですから、とにかく実際に足を運んでお客さんをとってくるしかありません。「ノルマを達成するまで帰ってくるな」「夜であれば飲食店をかけずりまわれ」と檄を飛ばし、徹底的にやりました。事務所の中はいつもピリピリしていて、早々にノルマを達成した職員でさえ、20時頃に事務所に帰ってきても、誰も戻ってきていないのを見ると気まずくなり、さらに再び営業に出るといった感じでした。
キャンペーンも佳境に入った頃、ある事件が起きました。どうしてもノルマを達成できないW君という青年が真夜中になっても事務所に帰ってこないのです。私の脳裏に一瞬、不吉な考えが浮かびました。もしかしたら海に……。
みな口にはしませんでしたが、おそらく職員の誰もが同じことを考えていたと思います。そのくらいのことが起きてもおかしくないくらいに、ぎりぎりまで追い込んで仕事をしていたのです。現代のように携帯電話がある時代ではないので、私も職員も街をかけずりまわって探しました。結局見つからず、途方にくれて、職員全員で事務所の外に出て待機しました。その時です。うす暗い道路の向こうからW君の運転する車があらわれました。聞くと飲食店街をしらみつぶしに営業し、最後に深夜営業のラーメン屋さんがお客さんになってくれたというのです。とうに日をまたいでおり、真夜中の駐車場で全職員が入り乱れ、「よかった。よかった」と泣きむせぶ姿は一種異様なものでした。しかし、そのくらいやって、そしてそれを繰り返して、開業13年目(昭和61年)に、職員数45名、総床面積530m²の地元一番の事務所となったのです。
世界初の通信会計システムも狂気によって生み出された
1993年には自社開発の会計システムをつくりました。故郷いわき市に会計事務所を開業し、20年。会計事務所の抱える問題を解決するにはどうしたらいいのか日々考えあぐねていました。報酬がなかなかあがらない、顧客が増えない、職員が定着しない、育たない、そして長時間労働……。多かれ少なかれ、どの事務所も抱えている問題でした。
私はこれらの様々な問題を解決することのできる会計システムがあればと思い、まだインターネットがない時代でしたが、電話回線を用いた通信によって会計事務所とお客様が繋がるというアイディアを考え出したのです。
私は税理士であり、システムに関してはまるっきりの素人です。しかし、絶対に形にするのだと固く決め、方々に奔走しました。不思議なもので、狂ったようにそのことばかりを考えて、動き、伝えているうちに、情報や人やその他、さまざまな必要なものがベストなタイミングで揃ってくるのです。
この会計システムは「通信で会計事務所とお客様が繋がる」というところが最大のポイントなのですが、これはシステム開発というよりも一種の発明だったことにあとから気づきました。さまざまな方との出会いの中で、とある通信機器製造会社のHさんという技術者と意気投合しました。
このHさんはちょっと変わった方で、「世界にないものをつくろう」という私の熱い想いを意気に感じてくださり、率先して何日もホテルに缶詰めになり、外界を完全に遮断し、なぜか素っ裸になり、夜を徹して図面を書き、「これじゃだめだ」「まだたりない」と一種の狂気でもって私の夢の実現に力をかしてくれたのです。
少し専門的な話になってしまい恐縮ですが、最終的には、世界初のマルチ通信を可能にしたエヌエムシイ製通信用LSIの開発に成功し、弊社独自のモデムをつくりあげ、それまでの常識を覆し、ファームバンキングとホームバンキングを一台のモデムで通信可能にしたのです。これによりお客様の利便性の向上のみならず、導入コストも格段にさげることに成功しました。
さらに、コンピューターに抵抗のある方が当時はまだ多かったため、帳簿作成用の専用キーボードまで独自に開発したのです。開発費がうなぎのぼりにかさんでいきました。それでも私は気にせず、突き進みました。気づけば開発費は15億円にもおよんでいました。
来る日も来る日も侃々諤々の議論を行い、叱咤し、夜を徹してのハードワークを課したせいで、ついてこれない職員もたくさんいました。しかし、私は「断じて行えば鬼神もこれを避く」の精神で、「たとえ自分ひとりになってでもやる」「殺されてもやる」という思いで、できることはすべて断行しました。
今振り返れば、まさしく「狂気の沙汰」で取り組んでいたのだと思います。だからこそ、日本初の画期的なシステムの開発に成功し、開発着手から3年後には、売上も30億円に迫り、全国250の会計事務所とその顧問先企業3万社超に会計システムを導入することができたのだと思います。
ファームバンキングとホームバンキング両方の通信を可能としたモデム
全てやりつくして初めて潜在意識は働き出す
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように「自分にできることはもう全てやりつくした」という状態になって、はじめて潜在意識が成功を後押ししてくれるのです。長い階段をイメージしてください。階段は100段あります。成功の実現は100段目にあります。99までは他の誰でもない自分自身が日々努力し、積み上げていくしかないのです。どうしてもあと一歩が足りない。でも、これ以上はどうあがいてもできない。そこまで自分を追い詰めたとき、さっと潜在意識が手を差し伸べてくれ、気づいたら100段目に上っていた。抽象的な例ではありますが、潜在意識が働くとはこういったものだと思います。
つまるところ、成功の実現のためには、「価値ある目標を設定し、目標を鮮明にイメージし、達成するまでの期限を決め、その目標を達成するための方法と手段を見つけ、それに対して狂気の沙汰で努力する」ということになります。
このように書いてしまえば実にシンプルなことです。別に理解できない言葉も概念もありません。しかしこのシンプルなことを実践することが難しいものなのです。
そして、大切なのが何事も決してひとりではできないということです。人はひとりで生きているわけではありません。人と人のつながりの中で、生きているのです。成功するには人との付き合い方を誤ってはいけません。次回以降は、「成功の法則 その参」と題し、「人間関係」についてお伝えしていきます。
創立者 野本 明伯