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顔は心の鏡、立ち居振る舞いは気持ちの投影

2018年05月07日

 会社経営で重要な要素は、なんといっても人材です。中小企業であれば、なおさらでしょう。
 私自身、40年以上中小企業の経営に携わってきました。たくさんの人が私の会社に入社し、また退社していきました。
 みなさん縁あって私どもの会社に来ていただいたのです。その在社期間はともかく、また辞めていかれた人も含め、当社に在籍したすべての方には、どうか幸せな人生を送ってほしいと心から願っています。年齢を重ねて人生を振り返ったときに「あの会社で働いてよかった。おかげで成長できた、幸せになれた」と、そう思っていただけるような会社になりたいと、いつも考えています。たしかに会社経営にはマンパワーが重要です。だから経営者は、従業員の成長を求めます。しかし自分の会社経営のためだけではなく、せっかく縁あって入社した社員ですから、それぞれの人生で自己実現を達成して幸福をつかんでほしい、成功者になってほしいと、心から願うこともまた、多くの中小企業経営者の偽らざる心境なのです。
 今回は、そんなお話をしてみたいと思います。

従業員の人生が見えてしまう

 中小企業経営者は、毎日の業務で従業員と関わっています。個々の従業員の業務に対する姿勢、物事への取り組み方などを見ていると、あるときふと、その従業員の行く末の人生まで見えてしまうことがあります。そして、心配になるのです。
 「この人は幸せな人生を送れるだろうか。このままだと、何をやってもうまくいかないのではないか…」
 それは業務に支障をきたす心配だけではなく、純粋にその人自身のことが心配なのです。
 私は、従業員が会社外でどのような人生を送っているのか、熟知しているわけではありません。しかし、わかります。それは、人生のそれぞれの時間は連続しているものだからです。会社で働いているとき、休暇に遊んでいるとき、自宅で家族といるとき、その一コマ一コマの積み重ねが、その人の人生です。
 会社で与えられた仕事にいつも夢中になって一生懸命できる人は、私は一瞬一瞬に過ぎていく時間をいつも濃厚に使い、前向きに生きている人だと思います。それはプライベートの時間でも変わらないはずです。
 結果として、そういう人は人の運に恵まれ、チャンスに恵まれ、何をやっても幸せになれるのです。
 一方で、会社の仕事を「給料をもらうため」と考え「できるだけ楽を」と考える従業員もいます。「勤務時間だけはガマンの時間」ととらえているのです。
 しかしその考えは、じつは自分自身の自由な時間になっても変わることはありません。ついつい逃げ道を考えてしまう、楽な道を選択してしまう、やるべきことは先延ばしにしてしまう。そうして結局、自分が成長する糧をいつまでたっても得られない。運に見放され、幸せになれない、成功できない。そして、その理由を、会社や世の中や他人のせいにしてしまう。それが、はっきり見えてしまうのです。

人は同じ色で群れようとする

 当社では毎年、採用のためにたくさんの人を面接しています。そこでまず「この人はダメだ」と思うのは、前の会社の不平不満を一生懸命に話す人です。その不平不満は、当社に入っても変わらないでしょう。

 もちろん誰でも不平不満を持つものです。
 しかし成功する人、幸せになれる人というのは、その葛藤に対する答えを自分の目標やアイデンティティの中で見つけていきます。そしてすっきりして、自分のやるべきことに没頭できるのです。
 不平不満というのは、その人の生き方そのものなのです。
 しかもやっかいなことに、心に不平不満を抱く人たちは自然に集まり、行動を共にするようになります。「類は友を呼ぶ」という諺がありますが、本当にその通りです。
 群れてお互いの傷をなめあっているのかもしれませんが、そこに自分たちのマイナス部分を気づかせてくれる人はいません。グループ内の不平不満は正当化されるばかりです。
 不平不満グループには、なぜプラス思考の頑張り屋さんがいないのでしょう。それは、賢い人はそういう仲間に入らないからです。生理的に肌が合わないし、感性そのものが違うからです。深い話などしたくない、できれば近くにもいたくない、それが前向き人間の本音です。
 したがって不平不満グループの人たちは、みずから何をやってもうまくいかない、報われない、みじめな人生を歩んでいるのに、その問題に気づくことがありません。

心は、正直に顔に現れている

 そして恐ろしいことに、このような心の在り方はそのまま「顔」に現れます。「顔は心の鏡」なのです。
「彼女は顔もスタイルも悪いけど、どこにいても輝いてるね」「彼はハンサムにはほど遠いけど、なぜか人気がある」という評判はよく耳にします。それは、人が顔を通して中身を見ている証拠でしょう。
 先日、私が利用しているホテルのチーフに「優秀な人材はどこを見ればわかるか」と質問してみました。答えは「立ち居振る舞いが美しい人」、そして「笑顔が良い人」でした。心や気持ちは正直に、その人の姿形に現れてくるのです。
 私自身にも経験があります。
 当社では月に1回、社長講話の時間があります。全社員が研修室に集まり、私が壇上に立つわけです。
 壇上に立つと、社員一同の顔をひと目で見渡すことができます。みな従業員ですから、それぞれの顔はおなじみです。
 ところが、壇上であらためて気づくことがあるのです。
 それは「輝いている顔と沈んでいる顔がある」ということです。
 しかも「類は友を呼ぶ」の原則なのか、輝いている顔と沈んでいる顔はそれぞれ集合しています。このため全体をぼんやり眺めると、ある部分だけぽっと暗く見えてくるわけです。それは「時間よ、早く過ぎろ」と心で念じている顔の集まりです。そこから、話し手のこちらに伝わってくるものは何もありません。
 一方で、部分的に明るく見える場所もあります。「いったい社長は何の話をするのだろう、何が言いたいのだろう」と、好奇心あふれる顔が並んでいます。表情がキラキラ輝いています。その顔を見ながら話を進めていくと、私の脳内でもインスピレーションがわいてきて、より面白い話になっていくのです。
 これは、仕事の現場でも同様なのでしょう。職場で「時間よ早く過ぎろ」と念じている人と、好奇心いっぱいで夢中で仕事をしている人では、必ず少しの差が現れます。その積み重ねは業務成績だけでなく、それぞれの人生をも大きく左右するのです。

ブラック企業など存在しない?

 最近「ブラック企業に気をつけろ」という言葉をよく耳にします。しかし、ブラック企業というのは本当にあるのでしょうか。
 もちろん、経営者がごまかしや詐欺まがいのことをやっている企業はブラックです。しかし、それを別にすれば、一般にはブラック企業と呼ばれるような会社はほとんどないのではないかと、私は思うのです。
 ブラックかどうかは、そこで働く人の心が決めることです。ブラックだと思えば、どこの企業もブラックに見えてきます。「ここは良い会社」という目で見れば、みんな良い会社なのです。
 男女の関係も、同じでしょう。
 相思相愛で結婚をしても、やがてお互いのアラが見えてきます。それを見て「この旦那(嫁)はダメだ、結婚を失敗した」と考えるのか、相手の良いところを見つめて「一緒に自分たちの人生をつくっていこう」と考えるのか。その差は、とても大きなものになっていきます。
 いかに仕事がきつくても、残業が連日でも、それを受け止め、頑張って、耐えて、ステップアップしていく人は、世の中にたくさんいるものです。伝統的な職人の世界では、親方の家に住み込みで入り、学ぶべき技術とは無縁の雑用を何年もやらされ、そのなかで技術も人間性も身に付けて一人前になっていくものでした。現在も、そのように修行している人はいるはずです。
 それは昔の話ではないと、私は思います。困難に直面しても、逃げずに自分のやるべきことをやっていく。その先に自分の人生がある。それは、いつの時代も変わりません。人生は一回きり、その一瞬一瞬を歩んでいくのは自分しかいません。
 ただし、サラリーマンは難しい面もあるかもしれません。一人の従業員が会社を変えることはできないし、まして社長を変えるなど不可能です。
 どうしても自分が一生懸命になれないなら、退職してほかの会社へ行くべきです。不満を抱えながらそこにいるのは人生の無駄です。早く見切りをつけて、自分が輝ける場所、自分が頑張れる職場を探すべきです。

誰かがどこかで評価している

 当社はこの1年間で、企業会計に関する社員研修を行いました。当社本来の業務内容です。そうした内容に直接関わらない営業職などの従業員は、自由参加にしました。
 研修は営業終了後に、週4回で、ひと月ごとに確認テストを実施しました。先日1年が経過したので、区切りとして参加者全員の成績を集計したのです。
 結果は、納得できるものでした。前向きに取り組んでいない社員はこぞって下位、逆に積極的に取り組んでいる人は、たとえ会計とは関係のない部署にいても成績が良いのです。
 一生懸命やっている姿は、他人には見えないことも少なくありません。しかしこのように、必ずどこかで結果として現れてくるものです。
 また、こんなこともありました。
 当社には、たくさんのパート従業員がいます。しかしパートとはいえ、正社員以上に前向きに仕事に取り組む人もいます。そのことを私は、ふとしたきっかけで知りました。
 いま当社では、組織の改変を行っています。新しい組織づくりのために、社員をあらためて再評価しているところです。私の目の届かない部分もあるので、社員からの情報も参考にしています。
 あるとき、某社員から「パートの〇〇さんをぜひ役職につけてあげてください」と提言を受けました。
 「彼女はパートですが、4年にわたって誠実に仕事に取り組んでいます。社長には見えないところでも手抜きせず、陰日向なく頑張ってきました。ぜひ重用してあげてください」
 そういう報告を、自分が評価されることを望んでいるはずの社員からもらったのです。私は感動しました。そして、そのパートの女性をマネージャーにしました。
 「パートだから」という目で見られがちですが、それは個人的な状況の制約で勤務体制が違っているだけです。それだけで仕事への取り組み方が正社員に劣っているわけでは決してありません。頑張っているパートもしっかり評価し、応援しなければいけないと気づいたのです。

人生に「手抜き」は存在しない

 よくよく考えてみると、人生にはもともと「手抜き」など存在しないのです。人生のここは一生懸命やろう、ここは手抜きしよう、そういうことはありえないのです。
 生きるということは、いつも一生懸命に取り組んでいくことです。それを素直に実践できる人を、その顔を、周囲の人は必ず見ています。
 それは、そういう人を評価して応援したい、手助けしたい、仲間になりたい、喜んでもらいたいと、周りが無意識に感じるからでしょう。
 だからその人は自然に引き立てられ、運が良くなり、成功のチャンスも増えるのです。
 たった1回の人生、すべての一瞬を精一杯生きていくしかありません。それは一面では辛いことかもしれませんが、また一面では楽しいことでもあると思います。それを積み上げたものが、人生なのです。
 幸せは他人に与えてもらうものではなく、一生懸命に人生を生きていくことで自分が感じていくものです。それができるのは自分自身だけです。そういう自分になりたいものです。

創立者 野本 明伯