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税理士コラム

「相続」2018年07月24日

 相続税法改正によって、相続税の課税対象者は大幅に増えました。都内に小さな土地と家屋を持っている程度の家庭も、世帯主が亡くなったらそれなりの相続税を払わなければならない、そんな時代になったのです。
 マスコミや各種セミナーは盛んに相続税対策を取り上げています。テレビでは『遺産争族』というタイトルのドラマが放映されたりしています。相続税が一部の資産家だけの問題ではなくなって関心を持つ人が増えているのだと思います。
 税理士の立ち場から見て、すべてが円満でハッピーに終わる「良い相続」というのは、なかなかお目にかかることができません。それはやはり「お金」が絡むからでしょう。
 相続のあとで、お金では買えない大切なものを失う人は決して少なくありません。それは不幸なことだと思います。
 私は、相続というのは決して「お金」や「土地」だけの問題ではないと思っています。有形の財産だけを考えているから、欲に負けてしまうのではないかと思います。
 もちろん税金の問題もあるので、相続にかかる事前の対策は必要です。しかし、相続はそれだけではありません。たとえ課税対象になるほどの財産がなくても、相続について考えておくべきことは多分にあると思うのです。

自分の財産に固執する老経営者たち

 できるだけ多くの財産を子どもに残してあげたい、それは親心として当たり前でしょう。そこに税金がかかるということになれば、少しでも節税しなければいけないと、生前から躍起になって奔走する人は少なくありません。
 相続人となる子どもたちにしても、少しでもたくさんの財産をもらいたいと思うのが当然です。そうしたなかで、相続をめぐって兄弟姉妹で争い事になることは、決して珍しいことではありません。いかに仲の良い兄弟姉妹も、相続で大きなお金が絡むと、とたんに関係がおかしくなっていくものなのです。
 あるいは、老齢の親が資産を受け渡す準備をせず、子どもたちといざこざを起こすケースも少なくありません。最近、当社にこんな方が相談に見えました。
 その方のお父さんは、90歳です。まだまだ元気に現役バリバリで会社を経営しています。しかし資産総額は50億を超え、このまま相続となったら莫大な相続税が発生することがわかっているのに相続税対策は一切していません。相談に見えた長男は跡継ぎとして入社しましたが、自社株さえ譲る気がないのです。「そろそろ相続のことを」と息子が話を持ち出すと、父親はカンカンに怒って寄せつけないそうです。公務員の次男が説得しようとしても、今度は次男とも険悪になってしまうと、息子さんは嘆いていました。
 このような相談は、じつはたくさんあります。
 去年も、百何十億の売上を上げる会社の社長が、もう80歳になるのに跡継ぎの娘婿と仲が悪く株を譲らないと、番頭さんが心配して相談に見えました。私どもが入ってなんとか社長を説得し、1年半ほどかけて、万一のときのためにどうすればよいか、対策を立てたのでした。
 生きている者は、いつか必ず死ぬ、それはもう決まっていることです。相続も必ず起こることです。
 自分がいなくなったあとで親族や会社がトラブルになってほしいと思う人はいないでしょう。ある程度の年齢になったら、身の回りを整理する意味も含めて、年に一度くらいは自分の没後のことを考えてみる機会を設けてみることです。これは親の最後の責任だと思います。

遺言は公正証書にしておく

 かく言う私も、じつは他人事ではありません。
 私は来年の1月で72歳になります。つい先日も40度の熱を出して救急車で運ばれ、2週間ほど入院してきました。熱は1日で下がりましたが、抗生物質の点滴は2週間続きました。我が家も、いつ相続が発生してもおかしくない、のです。
 入院中はベッドで寝ているしかないので、私はこの機会に自分の財産リストをつくり、いかにすれば自分の没後に子どもたちが争わなくてすむか、また私の遺志を伝えられるか、そんなことをずっと考えていました。その意味で、このたびの入院はいい機会だった、とも思っています。
 私は相続人も経験しています。
 父親は101歳まで生きました。亡くなる1年前まで元気でしたが、その5年ほど前に、私は遺言書をつくっておいてもらうように父に勧めました。
 私は父親にはそれ以前から、相続についてこんな風に言っていました。「遠慮して財産を残すことなんかないよ。使えるお金は全部使っていってよ」
 だから父親は、ある程度は悠々自適に、子どもから小遣いをもらうようなこともなく、自分で蓄えたものを使って老後を過ごしていきました。ただし、ご先祖様から引き継いだ土地や屋敷は、私たちが相続することになりました。
 私たちは3人兄弟ですが、やはりお金が絡めば揉めてトラブルに発展するかもしれません。それで「亡くなったあと喧嘩するのはイヤだから遺書をつくっておいてよ」と、父親にお願いしたのです。
 私は父親に弁護士を紹介し、話をしてもらいました。そして出来上がった遺書は、公証人に依頼して公正証書にしておきました。公正証書は正式な公的書面ですから、自分でつくった遺言書よりも効力が強いのです。これがあったおかげで兄弟で喧嘩することもなく、スムーズに相続手続きを行うことができたのです。

忘れ得ぬ母の言葉

 私は、先祖代々の財産を父親から譲り受けました。しかし私は、果たしてそれが親からいただいた最高の財産だろうかと考えるのです。
 たしかに、税金がかかるのはお金に換算できる有形の資産です。しかし、形にはなっていない無形の財産も、私は相続しているのではないか。そんな気がしてなりません。
 それは、親の心であり、野本家の文化です。親から受けた教育です。有形の税金のかかる財産の相続よりも、そうした無形の、私の心の中にしか存在しない相続のほうが、現在の私には重く感じられてならないのです。
 それは私の長年の勘のようなものですが、論理的に説明することもできると思います。
 たとえば、こんなことが強烈に思い出されます。
 私は大学受験に何度か失敗しました。自分が何になるべきか、まったくわかっておらず、最初にデザイン学部を受験し、翌年は文学部を受験して、いずれも落ちました。とくに信念があってデザインや文学を選んだわけではなく、ただの思いつきでした。勉強に熱が入るわけもなく、落ちるのは当然でした。
 二度の受験に失敗した私は、母親の前で「もう大学なんか行くの、やめちゃおうかな」とつぶやきました。申し訳ない、という気持ちもありました。すると母親は私にこう言ってくれたのです。
「やり始めたことを途中で投げ出しては絶対にだめだよ。目的を達成するまで最後まで頑張らないとだめ」
 私は、このときの情景を鮮明に覚えています。自宅の庭での、母との立ち話でした。近くで咲いていた沈丁花が、強く香っていました。
 私は母の言葉で勇気を取り戻し、翌年は商学部と法学部の両方に合格することができました。そして結局商学部へ進みました。それがきっかけで税理士となり、現在があるわけです。

両親の言葉が現在の私をつくった

 父親の思い出は、私が大学を卒業した後、税理士試験の勉強に取り組んでいたころのことです。
 友人たちは就職してきちんと親から自立しています。私は稼ぎはゼロ、ぶらぶらと浪人しながら税理士の勉強をしていたのです。私の心の中には、言いようのない焦りが渦巻いていました。自分はこんなことをしていていいのだろうか、と。
 そんなときに父親から言われたのが、こんな言葉でした。
「お金を稼ぐことを、そんなに焦ることはないんだよ。稼ぎ始めたら一生やめられなくなるんだから。それまでに、お金を稼ぐための力をつけておくほうが大事なんだよ」
 この言葉があったから、私は税理士の受験勉強を継続することができたのです。
 こうした両親の言葉の数々が、私をつくってくれました。それは、お金に換えることなどできないお金以上の貴重な財産です。まさに、親からもらった最も価値ある相続財産だと思っているのです。

無形の遺産を子が理解すること

 ある税理士仲間の友人から、こんな話を聞いたことがあります。
 彼の祖父は県で一番の資産家でしたが、戦争中の火事などで結局はすべて失ってしまいました。それを見ていた子ども、つまり私の友人の親は、こう考えたそうです。
「物というのは、いずれこうやってなくなってしまうもの。子どもに与える本当の財産は教育だ」
 友人は「私が税理士になれたのも、弟が医師になれたのも、そんな親のおかげなんです」と、しみじみ語っていました。
 私はとても感動しました。これがまさに子を思う親の気持ちではないかと思うからです。私の父親も、同じ気持ちで、私にあの言葉を贈ってくれたのだと思います。
 考えてみれば、子を思う親の気持ちというものは何よりも重く尊く、本当にありがたいものではないでしょうか。
 また別の意味で、親は子どもに大事な財産を与えています。人は「おぎゃー」と生まれたとき、親からかけがえのない相続を受けているのです。それは、親がつけてくれた自分の名前です。
 親は新しくこの世に誕生したわが子に、幸せになってほしい、良い人生を送ってほしい、明るい人に、優しい人に、誠実な人になってほしいと願い、名前をつけます。その名前には、それぞれの親の目一杯の気持ちが注ぎ込まれています。一人一人の名前は、それぞれの両親の切なる祈り、そのものなのです。
 その親の気持ちを子どもは理解し、応えなければいけません。親が残した(換金できる)財産だけでなく、親だからこそ注ぐことができた子への愛情も、目一杯受けて育ってきたのです。その親の愛情を子が理解しなければ、そのかけがえのない価値も無駄になってしまいます。兄弟姉妹で泥沼の相続争いを演じてしまうのも、そんな親の気持ちを理解していないからにほかならないと思います。
 親の教えを「無形の財産」にするのもしないのも、子ども次第です。そして、親から真の価値ある財産を相続できる子どもに育てることは、また親の務めでもあるわけです。
 被相続人である親と相続人である子どもたち、その双方がしっかりしていないと本当の良い相続ができないというのは、そういうことだと思います。

親の気持ちを遺言書にしたためよう

 相続税の課税対象が広がって世の中が騒がしくなっていますが、親からいただくものは相続税の対象となる財産だけではありません。たとえ課税対象にもならない財産しか残せなくても、実はそれ以上に大きな真の価値のあるものを、親は子に与えています。このことを忘れてはいけません。
 たとえ相続税の心配がなく、相続争いなど起こらないとわかっていても、親は、子どもたちの成長過程で伝えてきた自分の心や信念といったものを、最後に遺言書に書いて託すべきだと私は思います。どういう気持ちで子どもたちを育ててきたのか、子どもたちにどうなってほしいのか、それを綿々と遺言書に書き伝えるのです。それを読んだ子どもたちは、きっとその遺言書に応えてくれることでしょう。そして、親の真の財産を相続するのです。
 親子の理解があって、はじめて真の相続がうまくいくのだと思います。我が国で日本人の文化が育まれ、継承されてきたのも、一つ一つの相続がうまくいったからにほかなりません。親子の理解のもとに、大きな価値が世の中に残っていくのです。
 相続とは何なのか。相続税対策だけじゃなく、もう少し深く突っ込んで考えてみるともっと大事なことに気づくはずです。
 読んでいただいたみなさんがご自身の相続を考えるきっかけとしていただければ、嬉しく思います。

創立者 野本 明伯

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